信念

『書くこと』で世界が変わる。ブログで人生が思い通りになる理由。

書くこと

こんにちは、ライターの高橋久美です。

このブログでは、文章の書き方や、ブログで収入を作る方法などの情報をご紹介しています。

文章を書くスキルを持っていれば、仕事にも色々役立ちますし、副収入を得てお金と心のゆとりを作ることもできますよ〜、ということでおすすめしているのですが、実は「文章を書くこと」そのものにも、おすすめしたい理由があります。

私私自身もブログを書き続けてきたことで、世界の見え方も人生のプランも大きく変わってしまうほどの変化がありました。

「書く」という習慣がもたらす最大のメリットは、ものの考え方や見方が変わることです。

「視座が高まる」と言い換えても良いでしょう。

考え方が変わると、今まで思いもよらなかったことに気付けるようになったり、行動を変えて理想の未来を現実にすることもできるようになります。

具体的にどんな変化があるのか、今回は「文章を書くこと」そのもののメリットをお伝えしたいと思います。

主観の檻に閉じ込められていた

文章には、その人の人となりがハッキリと表れます。

ブログやSNSの投稿や、メールの文面を見ると、なんとなくこんな雰囲気の人かなあ、っていうのは伝わりますよね。

テーマの選び方や言葉遣い、文の区切り方、改行の仕方など、いろんな個性が出ます。

私は、数年前の自分の文章を読み返すとかなり恥ずかしいのですが、非常に主観的な書き方をしていたなあと思います。

私が書いていたのは、まるで教科書のような「物事の説明」でした。

いちおう客観的な事実を書こうとはしていたのですが、「読者が客観的な事実をまとめた文章を読みたがっている」という考えそのものが主観的な思い込みだったのです。

何かというと、教科書みたいな説明ってド正論で、面白くないし、だから何なの、と思われても仕方がないんですよ。それならウィキペディアでいい。

また、何個か書いていたらすぐにネタに困って書けなくなってしまいました。

書けない原因は、「正しい何か」があって、それを正しく書かなければならない、という思い込みでした。

間違ったことを書いたらどうしよう、というのが恐怖だったのです。

批判されるのが怖い、間違ってると指摘されてプライドが傷つくんじゃないか…、そんな保身にまみれていました。

だからそのテーマについてすごく調べて、皆が書いている通りの、当たり障りのないことしか書けません。

本当は表現の自由があるので、ブログって何を書いても良いはずなのですが、自分で「主観」という檻を立てて、その中に縮こまってしまってたんですね。

無限の組合せがある

「ブログのネタがありません、書くにしても、もっと勉強してからじゃないと知らないことについては書けません」

私は、メンター(先生)に相談してみました。

するとメンターは、

「高橋さんの場合は、既に本も読んでいて知識はあるはずです。それが繋がっていないだけですよ」

と言われました。繋がっていない、とはどういうことでしょうか?

「知識がバラバラになっているから、『1=1』のような教科書みたいなことしか書けないんです。別のものと組み合わせれば1つのテーマで10記事以上は書けるはずですよ」

図にするとこんな感じです。

普通に勉強して何かを覚える、というのは一番下の段の緑色の●を増やすことになります。

たとえば、本を読んで「分かりやすい文章を書くには、1つの文で1つのことだけを言うようにしましょう(一文一意主義)」ということを学習したとします。

これについて、そのままブログに説明を書くことは簡単です。

一文一意主義とは、分かりやすい文章を書く方法のひとつです。1つの文には1つのことだけを言うようにすると、読みやすくなります。

これでネタにはなりますが、また新しい文章を書くには知識を増やす必要があります。

図でいうと、緑の●が水平に何個も増えていくけれど、バラバラにしか使えない状態ですね。

それを他の知識と組み合わせることができれば、新しい黄色の●になります。

たとえば、説明だけでなくて「実際に自分が書いた文章が一文一意になっているかチェックして修正してみた」というふうに体験と組合せると、オリジナル感のある文章になります。

また、全く別の分野の知識とも組み合わせることができます。

たとえば、文章を料理に例えるとか、皆が知っていそうな小中学校の体験を例にするなど、何か共通点を見つけて繋げて書くことができます。

更に、いろんな知識が統合されて、共通の法則が分かれば、全く新しい発見もできるかもしれません。

このように、知識どうしを繋げて立体的にしていくと、専門外のことについてもちょっと情報があれば「自分の得意分野から見てどうか」ということを書けるのです。

これは文章術というよりも思考法の領域なのですが、ブログを書こうとするとどうしても鍛えられる部分になります。

記事を書く時に、そのテーマをどういう視点で書いたら面白いかな、何と組合せたらいいかな、というのを考えるので、自然に知識が繋がっていくんですね。

しかし、それでもやはり「間違っていたらどうしよう? 専門家に怒られるんじゃないか…」と思ってしまいますよね。

意味を与えるのは、自分

「よく知らないことについては、やっぱり変なことを書けませんよね…」と、これまたメンターに相談してみました。

ブログを書き始めた当時、私は自己啓発とか心理学系のネタは既にいろいろ勉強していたので書きやすかったのですが、「投資」とか「資産運用」というテーマになってくるとお手上げ状態でした。

やっぱり、ちゃんと勉強して書かなきゃ…という主観が発動してしまいます。

その悩みについて師匠からは、

「そんなのは、自分で言葉を再定義したら良いんですよ」

とのことでした。

固有名詞にウソの説明をしたダメですが、たとえば「私が考える投資」とか「ここでは資産とはお金だけでなく、知識や人脈など目に見えない価値も含めるものとします」みたいに自分で定義を決めてよいものもあります。

自分にとってどういうものか、は自分で勝手に決めてよいのです。

世界をどう見るか、どういう意味付けをするかは、自分次第。これは、私には無かった発想でした。

そもそも唯一の「正しいもの」なんて存在しません。全部は誰かの意見に過ぎなかったり、ある特定の条件下においては、それが正しくなる、というだけです。

だから、条件を明示して、ここではこういう風に定義します、って言ってしまえば自分なりに書いてオッケーなんですね。

その再定義がユニークであるほど文章も面白くなります。

私は「自分にとって◯◯とは?」をノートに1ページずつ書いていくのを練習でやりました。

たとえば、自分にとっての「水」とは、「ペン」とは、「仕事」とは…みたいなことを、たくさん書けるほど自分で定義できていることになります。

最初は普通の説明みたいなことしか出てこないんですけど、練習しているうちにいろんな例え話や体験談と繋がっていきました。

ユニークでも響く文章の条件

ユニークにするのは良くても、ただ奇抜なことを書けばいということではありません。

読み手の考え方とかけ離れすぎていると、ただ変なことを言っているだけの人になってしまいますからね。

それをやってもいいんですけど、私が今までいろいろ試行錯誤してきた仮説によると、ウケるブログには主にこんな要素が必要なのかと思います。

・読み手(世の中の人)がぼんやり考えていたことが言語化されたもの
・書き手の思考のプロセスが表現され、読者が一緒に同じ視点にたどり着けるもの
・読者や第三者を直接攻撃しないもの

他にもいっぱいあるのですが、ここでもやっぱり「視点を切り替えられる」というのが1つカギとなります。

世の中の人はどんなことを考えているのか、皆は潜在的に何に悩んでいて、どうなりたいのか、いろんな人の立場にたって考えなければいけません。

「ワタシ的にはこう思います」っていう意見を強くかくだけだと、あまり深みのある文章にはなりません。

反対意見とか、世の中全体の流れとか、いろんなことに思いを巡らせ、踏まえた上で、流されずに「自分で定義した何か」を提案すると、何層にも深みのある文章となります。

逆に言うと、深いことを書こうと思ったら、いろいろ考えないといけないので、鍛えられるんですね。

文章は、人を表す。

文章にその人の人となりが表れてしまうのは、文章をひと目見れば何をどこまで考えて書いているのかが分かってしまうからです。

読者を置いてきぼりにする独りよがりな文章を書く人は、日常での人との関わり方でも周りの人が目に入らずマイペースです。

根拠を気にして、論理的な文章を書く人は、人と話すときも議論好きだし、買い物をする時なんか権威に影響されがちかもしれません。

主観的で「すごい!」とか「わー!」とかの感嘆詞を多用する人は、けっこう感情的でフィーリングを重視しているでしょう。

私自身も完璧にできていると言うつもりはありません。見えていないことだらけですし、まだまだ主観に囚われています。

ただ、本当に文章が上手いなあと思う人は、ただ文章術としてテクニックが優れているだけでなく、人間力的にステージが高いと思う人が多いです。

とにかく、まずは考えていることのスケールが違うんです。

自分のことだけじゃなくて、業界とか世の中とか、全体を見渡してるのがそもそものテーマからも分かります。

それに、自分の専門分野について極めているだけでなく、色んな他の知識と繋がっているので、読み手がどんな人かによって書き方を変えられます。

読者が知っている言葉を使った例え話で、難しいことも分かりやすく説明できるんですね。

それだけでなく、上手な人の文章は、まるで筆者と会話をしているかのような、あるいは教室に読者が大勢集まってその人の話を聞いているかのような臨場感があります。

それは、筆者が「これを書いたら、こういう反応が返ってくるだろうな」という予想をしながら書いているためです。

文章には直接表れていなくても、書き手の意識は微妙に情報として行間に入り込み、読んでいるときの感覚に影響するんですね。

要は、書き手が読み手をどれだけ意識しているかが、文章を通して無意識に伝わってしまうのです。

『書くこと』で世界が変わった

これまで見てきたように、ブログの文章を書くには知識を繋げたり、色んな人の立場に立って考えたり、自分なりに定義し直してみたり、考えの幅が広がります。

ブログを書き続けていたら、まず勉強の仕方が変わりました。

それまではテストに出るからとか、単に自分が面白いからって本を読んだりセミナーに出たりしていましたが、ブログを書くようになってからは常に「読者さんにはどれがどんな風に役立つだろう?」と、ブログを書くことを前提に勉強するようになりました。

後でブログに書こうと思ったら、自分がちゃんと理解していないといけないので、すごく集中して勉強するようになります。

そして、知識が他の知識と繋がって「使える知識」になります。

ノウハウコレクターだったのが、やっとコレクション品を使うようになったんですね。

もう一つ大きかったのは、他の人の目線になって考える、という姿勢が身についたことです。

私はかなり感情のアップダウンが激しいタイプで、テンションが高いときと落ち込むときの差がすごいのですが、『書くこと』のために視点を切り替えて考える練習をしていたら、落ち込んでいてもどこか冷静に見ている自分に気づくことができました。

あ、自分は今落ち込んでるなあ、と上空のカメラから見てる、というイメージですね。

あとは、誰かのことが羨ましいと思ったり、人と較べてしまったりするときも、相手からしたらどうだろう、って考えるとパッと感情が収まるようになりました。

色んな角度から見ようとしたら、今まで見えていなかったものが一気に目に入ってきて、世界がモノクロから色鮮やかになったぐらい変わりました。

自分の視点ひとつ、考え方ひとつで、こんなに違って見えるんだなあ、という体験が何回もあって、気分がコントロール可能なものであることも学びました。

そう、自分で自分の機嫌を直せるようになったのです。

物事を自分で定義できるということは、視点や感情を自分で選べる、ということです。

嫌なことがあったから、ムカつく、という過去からの縛りが無くなって、自分がすきなよに感情や行動を選べるんです。

極めれば何があっても微笑んでいられるし、自己統制が効くようになります。

そうすると周囲から影響を受けにくくなり、逆に周りの人に影響を与えることになります。

今はまだ信じられないかもしれませんが、文章を書いているとだんだんそういった力を持つことになるでしょう。

それは、「自分には、これはできない」とか「収入はこのぐらい」のような、過去からの影響を受けずに、未来を自分で切り開く力です。

私は最初は自分で何もできない、敷かれたレールの上を走っているような生き方だったのが、自分でどうするか選択できるようになりました。

今年はこのぐらいの収入にしよう、とか、どんな人と関わっていきたい、というのも今は自分で決められます。

そして、文章を書いて精神的に成長し、未来を良くしていける仲間が増えたらいいなと思って色々活動しています。

あなたにも、まずは日記帳でもアメーバブログでも何でも良いので、文章を書いて自分を客観的に見つめるところから試してもらえたら嬉しいです。

きっと、素敵な発見がありますよ。